embracing solitude

diary

I am one who takes small pleasure in a day in reading a book at the end of the day.

1日の終わりに本を読むことをささやかな喜びとして生きています。

diary

  • 20260113 | みんなで鍋を食べる

    昨日の吹雪はどこへやら。曇り空と晴れを行ったり来たり。天候は時事刻々とその表情を変える。 夜は職場のメンバーと懇親会。皆で鍋をつついた。参加者の一人は、こうした場を明るく温めてくれるタイプの人。こうした人が一人いるだけで、場の雰囲気は変わる。 メンバーがそれぞれ自然と語り出す。そのさまを眺めながら、いい夜だなぁとノンアルコールビールを傾ける。 お開きになり、お店を出ると外には小さな小さな雪が、ちらついていた。

  • 20260112 | 吹雪

    朝起きて外を見ると雪で真っ白。吹雪といっていい状態。出先の仕事場で窓越しに眺める自然の驚異。都市で暮らしているとこの感覚を味わう機会は少ない。手を止め、ぼんやりと外を眺める。 暮らしと自然がとても近いからこそ、生まれる感情を味わう。わたしはこの土地を離れ、移動していくが、ここに生活の基盤を持ち、暮らす人たちはそうはいかない。 美しさだけでなく、厳しさを持ったありのままの自然の形が目の前にある。 夜は少し長めのお風呂に入り、横になる。

  • 20260111 | 焚火

    Oura RingとNotionの自動連携にむけて、各種設定を試みたがなかなかうまくいかず。 夜は生姜焼きを作って食べる。お肉に小麦粉をうっすらとつけてタレに絡むようにし、生姜は生を使うことを大事にしている。 夜、焚火をした。風に揺らぐ火を眺めているだけで心は落ち着いていく。

  • 20260110 | 家事の味方

    暮らしの工夫ということでGoogle Calenderの運用を見直し。プラグインの導入、ルーティンの仕組化、個人の日程を予め入力して予定化。 使い勝手と予定の見通しが格段に良くなった。特に、先に自分の予定を入れることをしてみたら、すごくスッキリしたし、いつランニングができるか明確になった。 夜は旬の素材で、ということでカキフライを作った。スーパーには韓国産の牡蠣しかなくはじめて買ってみた。どれも小粒だったため、うっかり少し火を入れ過ぎてしまった。 料理の仕込み中にPodcastを聴いていた。昨年からずっと愛聴しているのは「SISTERHOOD PODCAST」。曰く、「ジェンダー」や「多様性」を軸に、言語化が難しいけれどしないとモヤっとする話をピックアップするPodcast。 自分とは異なる他者や、社会を形作るものへの想像力の必要性を感じさせてくれる。すっかりハマってしまい、最初から遡って聴いている。 その中のエピソードの中で「怒りは二次感情」という言葉に出会い、興味深くて調べてみた。 「怒り」は心理学的に「二次感情(第二感情)」と呼ばれ、その奥には「不安」「悲しみ」「寂しさ」「悔しさ」「苦しさ」「恐れ」などの「一次感情(第一感情)」が隠れてるという構造らしい。新たな視点。 やはり、わたしにとっての最高の家事の味方は食洗機でもなく、ルンバでもなくPodcastなのだ。

  • 20260109 | 家族経営の食料品店

    出張。数日宿泊するので、出張先にある地元の個人スーパーれ買い出し。地域密着の家族経営のお店は小さくとも充実した品揃え。 近所のご家族を対象にしている店舗だからか、ニンニクが1kgといった単位で売られていた。とても新鮮。そして食料品店って楽しいなと改めて思う。 お店にはおじいちゃん、レジに立つ夫婦、そして品出しをしているのはお孫さんかしら。 ウィル・ヘイグル「マッドヴィランの嘘と真実 MFドゥームとマッドリブのアンダーグラウンド・ヒップホップ伝説」(2025)を読む。

  • 20260108 | 他者の前提

    ここ2年間、一緒に仕事をしている人との関係を質的に改善しようと努めている。今日はその兆しがようやく少しだけ見え始めた日。気のせいかもしれないけれど。 人間関係の質は、木が育つようにゆっくりとしか変わっていかない。人はある前提を持って生きている。その前提が掴めない限り、その人の見えている景色がわからない。 相手を変えようとしたり、支配しようとしたりする人もいる。「相手」と「わたし」の間に関係の質に目を向けたい。そのひとつが他者が抱える前提なのだと思う。 そしてその前提を引き受けたり、揺さぶりをかけられたりする時にきっと必要なのは、振幅の少ない、安定した自分であること、なのかもしれない。

  • 20260107 | 七草粥

    朝、七草粥を食べた。もともと季節の変化を楽しみはするけれど、意識的に七草粥を食べたのははじめてかもしれない。 芹(せり)、薺(なずな)、御行(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、鈴菜(すずな・かぶ)、清白(すずしろ・だいこん)の春の七草。無病息災の願いを込めた日本の食文化。 おまじないのようなものだけど、こういう小さなことで、ちょっぴり心が軽くなったり、仕事への足取りが変わる気がする。 星野道夫の言葉を思い出す。 人間の気持ちとはおかしいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人のこころは深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きて行けるのでしょう。 小さなこと、ちょっとしたことの折り重なりでいいんだ。その日、一日をやり抜くための一握りの力は。

  • 20260106 | 遠い記憶を目の前に感じること

    時間はいくらあっても足りない、そう考えてしまう自分がいる。そんな時に出会ったダヴィンチの言葉はとても考えさせられる。 前半は主観的時間とは異なるもうひとつの時間の流れ、つまり客観的時間について。そして後半は互い稀なる人の心の働きについて。 人は時があまりに早く過ぎ去ることを嘆くが、それは違う時は十分過ぎる時間をかけて移ろうことを知るべきである。我々は天から授かった力によって遠い記憶を目の前に感じることが出来るのだから レオナルド・ダ・ヴィンチ 人は、遠い記憶と共に生きるという、なんて美しいギフトを授かったのだろうか。 夜、みすず書房から出ているラッセル・A・ポルドラック「習慣と脳の科学―どうしても変えられないのはどうしてか」(2023)を読む。 習慣をhowではなく、whyとして脳のメカニズムを理解するための本。

  • 20260105 | 価値の判断基準

    日常の再稼働となる日。世間のカレンダーが動き始めた。自分の能力を存分に発揮できる相手とそうでない相手がいる。 これは何によって決まるのだろう、と改めて考えさせられる場面があった。わたしと相手の双方に要因がある。あるいはわたしと相手の間に。 わたしはきっと相手の顔色を伺いすぎるし、わたしと相手の間には「関係の質」が出来上がっていないのだ。 とすれば、それはわたしの在り方で決定される、などと考えたりする。第三者を価値基準とするのではなく、自分の価値基準に立ち返ろう。 卒論の指導を行う助教授である「発声練習」という方の「価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない」という2009年のブログ記事を思い出し、辿ってみる。主たる部分は次だ。 「表現者は、外の世界に自分の考えや思いを問うのがその存在意義だ。外に問うということは反論を食らうということなので、皮膚は破れ、肉は断たれる。でも、骨は守る。傷を癒し、身のこなしを鍛え、骨を強化し、場合によっては骨を入れ替え、再び世の中に自分の考えや思いを問う。考えや思いを外に問わなければ何も始まらないから、ただ、そうする。 だから、君がもし表現者になりたいのだとしたら、精神的な背骨を手に入れる必要がある。それはどんなものでも良い。私が君をどう思うかではなく、君が君をどう思うかそれが重要だ。君は私じゃないし、私は君じゃない。究極的には、私が君をどう思おうが君はそれに左右される筋合いはない。」 卒論を書く学生に向けた言葉なのだが、わたしにも響いてしまう。 夜、長田弘「1日の終わりに」(2000)を読み返す。大切な本は何度でも。

  • 20260104 | 道徳的野心

    髪を切ったり、食材を買ったり、調理したり、整理した本を売るために集荷してもらったり。 今日一日、細々としたことを片付けた。生活はリズムだ。その日その日にきっと役割がある。 面白い記事に読む。 「世界が必要としているのは、野心と理想主義の両方だ。わたしはこれを「道徳的野心」と呼んでいる。それは世界を劇的によりよい場所にしようとする意志であり、民主主義を守るとか、次のパンデミックを防ぐといった、わたしたちの時代の最も差し迫った問題にキャリアを捧げたいという欲求なのだ。」 ルトガー・ブレグマン|RUTGER BREGMAN この両立てとそのバランスがわたしには必要だなと思い知らされる。 ちなみにブレグマンは「Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章」の著者。 ソースは年末のwired。