embracing solitude

diary

I am one who takes small pleasure in a day in reading a book at the end of the day.

1日の終わりに本を読むことをささやかな喜びとして生きています。

diary

  • 20250225 | 些細なひとこと

    ある人の、些細なひと言が、わたしの今日一日を染め上げてしまう。 同僚の一言が深く突き刺さり、わたしと、その仲間たちが積み上げてきた5年間を蔑ろにされた気持ちになってしまったのだ。その発言をした人も、協働者の1人のはずなのに。 なぜこんな気持ちになってしまうのだろう。 考えてみれば、私たちがあるプロジェクトで積み上げた5年の歳月を無駄だとは決して思わないし、思えない。確実に現実は動き、あらゆるものが変わった。その事実は存在する。私たちが重ねた時間は、確かに実を結んでいる。 つまり、ただ、ほんの少しだけ、寂しく、そして悲しくなってしまっただけなのだ。 なぜこんなにも心が騒ぐのだろう、と考えてみると「こう言ってほしかった」と望む、浅ましい自分の本音を見つけてしまった。その心のありようは、個々の感性を奪い、人を支配する類のもので、自分の醜さと出会い直すようなものだった。 きっと人に期待すること自体が、間違ってるのだと思う。人はままならぬ存在なのだ。人を人として尊重しあって生きていくためには、人とは「そういうもの」だとして引き受けるしかないのだ。その人を嫌うでもなく、世界を呪うでもなく、ただただ「そうである」と。 それは人、そして生きることの、ままならなさと、生きること。 わたしが感じる悲しさとは関係なしに存在するホモサピエンスの特性であり、宿命なのだ。 だけど、痛みがないわけじゃない。 そんなとき、わたしは次の一節を思い浮かべる。ほんの少しだけ気持ちが和らぐから。 “だがこうした胸の痛みこそ、僕の生が続いていることの、象徴ではあるまいか” ジャン=ドミニック・ボービー「潜水服は蝶の夢を見る」(1998) 夜、西尾勝彦「場末にて」(2023)を読む。本というものの存在にいつも助けられている。

  • 20260224 | 薄氷

    昼にメーラーを開いたところ、あるメールのタイトルに思わず「えっ!?」っと声を上げてしまった。驚きと焦りと共に、メールを開く。 人生には、これまで当たり前だった日常が、突如として別ものに様変わりしてしまうような、そういう瞬間がある。 それがわたしの知人に起こったのだった。 数本の電話と、しばしの内省を経たのち、最近、友人に勧められて少しずつ読みすすめていたオリバー・バークマン「限りある時間の使い方 人生は4000週間 あなたはどう使うか?」という本の一節を思い出す。 “そのニュースは、ある瞬間と別の瞬間のあいだにすっぽりと収まっている。そこに隙間があるとはまったく気づかないような、そんな隙間に。…それはまるで、新しい物理法則が私たちのために用意されたかのようだった。あらゆる法則と同じく絶対的でありながら、恐ろしくさりげない。それは認知の法則だ。その法則は告げる。「あなたはこの先、目にとまるものすべてを失うだろう」と。” オリバー・バークマン「限りある時間の使い方 人生は4000週間 あなたはどう使うか?」 知人と、その家族に起こったことを思うと胸が苦しい。 これまでに、「それ」が、わたしに起こってもおかしくなかったし、これからだって、「それ」は起こりうる。たまたま「それ」が今回わたしでなかっただけに過ぎないのだ。 来たるべき時のために、当たり前すぎる日常を、その幸運を、この薄氷を、噛み締めるように生きる自分でありたいと願った。

  • 20260223 | そのことだけ、そのことしか

    一年に一度、あるかないかの面接をした。 履歴書と適性検査の結果を読み、質問をしなければならなかった。その人を知るために。 しかしこれでいいのだろうか、と毎回自問する。 そしてわたしはこうも思ったのだ。観察が現象を変化させるなら、そもそもなにかを知ることなどできるのか、と。 アン・マイクルズ「抱擁」(2025) たったの20分で – 諸情報を読み、質問をしたとて – どうやってその人のことを知ることができるのだろうか。それ以上に、わたしは人を見る目がない。人のことがわからない。 「悪い人じゃなさそうですね」 わたしはそんな言葉でなんとかその場をやり過ごしてしまう。そうとしか言いようがないから。 ふと自分のことを思い返す。わたしは人と対話をするとき、相手の話を聴き、それをしばしば要約して問い返すことがある。そうしたプロセスを経ることで、物事を、人を理解しようとする。 しかしその手順は、相手の話を聞いているようでいて、相手を自分の思考の枠の中に押し込めている。わかったつもりになって、理解は、遠ざかるばかりだ。 人は要約できない。してはならない。そんなふうに思う。そして理解とは一体何を意味する言葉なのだろう。さしあたっての了解に過ぎないのではないか。 * 時を重ね、行動を共にし、ようやくその人のことが、わかった気になることもある。でも結局、わかった気がするだけで、実は何もわかっていなかったという瞬間が訪れる時が来る。 そのことだけ、わかってる。 そのことしか、わからない。

  • 20260222 | ルービックキューブ

    土門蘭、絵 寺田マユミ「100年後 あなたも わたしも いない日に」(2017)を読む。 実際わたしはルービックキューブを完成させるのに、どれくらい時間がかかるだろうとおもいたち、測ってみたら1:40だった。ちゃんと勉強してみるかと思い、動かし方を見直してみる。次のことを学ぶ。 1.白を揃えるときの角の入れ方 2.中段の入れ方 調べてみたらまだまだ改善ポイントが多数。というか何も知らなかったな。今年はルービックキューブを練習してみようか。

  • 20260221 | 鴨井玲展

    仕事は午前まで。午後からは自由時間。さてどうしたものかと考えたあと、帰りがけに新大阪から敦賀を経由して金沢へ向かうことにする。 目的は金沢県立美術館で開催されている「没後40年 鴨居玲展 -見えないものを描く- 」を見るため。 随分前に「静止した刻」(1968)という絵が目に留まったことをきっかけに鴨居玲を知った。文字通りの圧倒的な「静止した刻」であった。 1時間半ほど、絵画を眺めた。画家の作品はバラエティに富み、知らなかった画家の一面を見た気がした。実物を見ることができてよかった。画集で満たされる自分もいるが、叶うなら本物を見てみたいと思う。

  • 20260220 | 大阪へ

    大阪へ出張。新幹線の中で、土門蘭「死ぬまで生きる日記」(2023)を読む。 夜は生まれてはじめて屋形船へと連れてって頂く。ただ隣の席の人と話し込み、気がついたら外の景色も見ず、食事もほぼ食べず、すべてが終わっていた。 その後、その日のうちに帰らなくてはならない人を新大阪へと送り、出発まで3人でハイボールを飲む。良い友人ができたような気持ちになり、楽しい夜になった。

  • 20260219 | 拙い語りの中に

    重要な案件があり、久しぶりにスーツを着る。こんなに窮屈だったのだろうか。やはりもう戻れないな、と直感。サイズ的にも、気持ち的にも。 スーツを纏いながら8名でひとつのテーブルを囲み、話をした。スーツのせいか、わたしもいつもより固くなっている。 会話の中で、ある人が、ある問いに対して、答えた。その人の言葉は小さな声ではあったが、時間をかけて、大きく迂回しながら、自分から見えている世界とそのディテールを語り、問いに答えようとしていた。 MECEにまとめあり、抽象度を上げてポイントを3つにまとめて整理したり、最短距離を走るための言葉選びをしたりはしなかった。 (滅多に会えない人との、非常に限られた時間の中でのアポイントだったので、私はそのとき、喉から手が出るほど、そうしたかった…) しかし、少し時間をおいて振り返ってみると、あの語りには、その人にしか見えない景色、その人にしか紡げない言葉でできていて、むしろあれ以上の回答はないと思いはじめた。 そこには、何の作為もなかった。語り手の日々、語り手の眼差しだけが差し出されていた。 * 高階杞一「早く家へ帰りたい」(2019)を読む。こんなにもページを読むことに緊張し、心の痛んだ詩集はない。

  • 20260218 | 器

    大切に使っていた安藤由香さんのマグカップの取っ手が、突然壊れてしまった。毎年、少しずつ作家さんの器を購入し、毎年少しずつこうして減っていく。物には必ず終わりがある。これも含めて器の美しさなのだろうか。 * 午前は、自分のためだけの時間を過ごす。昔読んだ本を3冊読み返す。こんな大切なことが書いてあったんだ、という驚きと共に、大事なところを書きとめておく。自分の記憶の曖昧さのために。そしてこの言葉が必要になるかもしれない自分のために。 * 今日は新たに「積読はビオトープ」という言葉に出会った。ビオトープはあるがままの自然を指し、川、森、池、海など生物が共存した生態系空間を意味する。学校や家庭などで人工的に作られる生育空間も広義な意味でビオトープと呼ばるらしい。 人工のビオトープの目的は、個人のそれとは別にして、多様性保全や自然との触れ合いにある。そう考えれば、積読がかもす空間はビオトープと言うに相応しいかもしれないな、と思ってしまった。 本は自分とは異なる時代、異なる文化、異なる価値観を持った本との触れ合いであったりするから。本の保有はその保全にあたる。 積読によって、わたしはある種の生態系の中で生きている、ということらしい。 いずれにせよ、この新しき言葉に心が軽くなった気がする。もちろんを本を本たらしめるものは読書に他ならず、本は読まれることを待っているのだけれど。

  • 20260217 | 友人とご飯

    仕事で神楽坂へ。プレゼン資料を作りながら、移動するという強行スケジュール。アポイントメントのギリギリまで資料を詰めて完成。プレゼンも出し切った。ここまでやれば、結果を相手に委ねきれる。 その後、一緒に行った同僚とコーヒーを一杯飲む。滅多にない機会でもあるので、色々と話を聞かせてもらった。 人の話を聴くことは、面白い。相手の話を受けて、たまに自分の考えていることを差し込んでしまうが、いつか自分の存在を消してただただ耳を傾けることができたらいいなと思う。 * 同僚とは現地で解散し、わたしは神楽坂から三田へ移動。美味しい食べ物が大好きな友人と2人で夕食。 旬の素材を扱いつつ、食べたことのないような組み合わせの料理たち。とても美味しい。心の滋養といったらいいか、こうした時間があるから、日々のままならなさが帳消しななるとは言わないまでも、鎮痛剤として機能してくれる。 料理だけでなく、大将の人柄の柔らかさ、挙動の凛々しさ、そして内に強さを纏っているように感じられ、とても素敵だなと思った。素晴らしいお店を教えてもらった。 ままならない日々の間に挟まれた、暖かい時間だった。心許せる友人との時間は、何ものにも変え難いと改めて思う。

  • 20260216 | 友人の気遣い

    今日は夕方まで家でゆっくり過ごす。本の面白いの褒め言葉を知った。 Page-turner: 意味: 展開が速く、非常に面白い小説や本。 用法: “This book is a real page-turner.”(この本は本当に読み出したら止められない)。 いい表現だなぁ、と。 久しぶりにJónsi & Alex Somers「Riceboy Sleep」(2009)を引っ張り出し、聴きながら本を読む。 夜は久しぶりに外食。神保町で友人と待ち合わせ。わたしが本を好きだと知ってくれていて、わざわざ作家さんたちが通うというお店に連れて行ってくれた。そうした心遣いが嬉しいと思う。 2人で瓶ビールを分け合う。 その後、友人とZornのライブを観に行った。客演に昔の友達が出てくる。ほんの数メートル先のステージ上の友人。観客席からそれを見つめるわたし。 とても不思議な感覚だった。